芦部信喜教授といえば、憲法学の大家にして巨頭。その手になる本書は、憲法の基本書のスタンダードとされてきました。憲法の講義で教科書に指定されることも多く、私を含めた多くの憲法学習者にとっての最初の一冊であろうと思われます。
頁数は412頁ですが、フォントが大きい為、思いの外早く通読できました。本文の記述についても、端的で簡潔。長谷部恭男教授の「支配的な見解の標準的な記述ということで定評」【注1】があるとの評価に、私も賛成します。
しかし、以下のようなマイナスポイントも存在するように思われます。
一つ目は、記述が簡潔な分「行間が広い」ことです。前提知識無しでは、読んでいて疑問を感じることもしばしばでした。
例えば長谷部教授は、本書を読む際に気をつけるべき記述の一例として、定義づけ衡量についての解説を挙げます【注2】。
即ち本書では、定義づけ衡量とは「(わいせつ文書ないし名誉毀損についても)表現の自由に含まれると解したうえで、最大限保護の及ぶ表現の範囲を確定していくという立場である」【注3】としています。しかしこの記述では、「表現の自由の保障を受けるわいせつ文書などの規制についても、内容規制として厳格審査すべし」との意見に見えてしまい、定義づけ衡量をする意味が無くなってしまいます。そのような意図でないことは、芦部教授の体系書にある「(定義づけ衡量による)この定義に該当しないかぎり性表現にも憲法の保障を及ぼしてゆく必要がある」【注4】との記述から読み取れるのですが、本書の記述はややミスリーディング。本書を読んでいて、私自身混乱しました。
二つ目は、本書の記述の一部は、2020年現在では「支配的な見解」と言い難いことです。高橋和之教授が本文に手を加えない補訂方針を採っていることも、その理由の一端でしょう。
その代表例が、規制目的二分論をめぐる森林法判決の読み方です。
規制目的二分論は、概略「積極目的規制(福祉国家の理念のもと、弱者保護や社会経済の 発展のために行う規制)→合理性の基準=緩やかな審査/消極目的規制(国民の健康や安全に対する危険を除去す るために行う規制)→厳格な合理性の基準=比較的厳しい審査」【注5】との枠組みを唱えます。しかし、森林法判決において最高裁は、森林法186条の立法目的を「森林経営の安定化を図り、(中略)もって国民経済の発展に資すること」としつつ、規制手段の必要性・合理性につき、合理性の基準より厳しい基準に基づき審査を行いました。
本書では、森林法について「むしろ消極目的規制の要素が強い」【注6】としていますが、これには批判が強い所です【注7】。規制目的二分論に照らせば本件規制は積極目的と考えられますし、この見解が近時の基本書等においては一般的ではないでしょうか【注8】。その上で、長谷部教授のベースライン論など、本判決を規制目的二分論の枠組みにおいて理解する試みが注目されます【注9】。
以上は、決して本書の価値を否定する趣旨ではありません。簡潔な記載はなおも有用ですし、私自身、注釈でなされる判例解説を択一試験に活用できています。しかし、現在は憲法の基本書も充実しています。他の選択肢についても、検討してみる余地はあろうかと思います。
【注1】長谷部恭男『続・interactive 憲法』(有斐閣、2011年)47頁
【注2】長谷部前掲注1、47〜49頁。
【注3】芦部信喜『憲法(第7版)』(岩波書店、2020年)198頁。引用中()内は引用者。
【注4】芦部信喜『憲法学Ⅱ』(有斐閣、1994年)232頁。引用中()内は引用者。
【注5】積極目的、消極目的の定義について、新井誠ほか『憲法Ⅱ 人権』(日本評論社、2016年)183頁を参照した。
【注6】芦部前掲注3、244頁。
【注7】本書の見解を「無理のある読み方」と断じる、宍戸常寿『憲法解釈論の応用と展開(第2版)』(日本評論社、2014年)158〜159頁を参照。
【注8】例えば基本書につき、新井ほか前掲注5、195頁。他に、安西文雄ほか『憲法学読本(第3版)』(有斐閣、2018年)185頁、長谷部恭男『憲法(第7版)』(新世社、2018年)248頁、樋口陽一『憲法(第3版)』(創文社、2010年)254頁など。本書補訂者の高橋も、本件規制を積極目的と解する。高橋和之『立憲主義と日本国憲法(第5版)』(有斐閣、2020年)294頁。
【注9】長谷部前掲注8、253頁〜。
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