宗教団体の内部紛争が司法の場でどのように扱われるのか——
その答えを示した重要な判例が「板まんだら事件」です。宗教法人が信者から寄付を募り、その対象となる「板まんだら」が偽物であったと主張されたこの事件は、単なる詐欺や錯誤の問題にとどまりませんでした。最高裁は、この事件を通じて「法律上の争訟」とは何か、そして裁判所が宗教に関わる問題にどのような基準で介入すべきかについて、明確な判断基準を示しました。
本記事では、司法権の意味や法律上の争訟の定義に触れつつ、板まんだら事件が後の宗教に関わる裁判にどのような影響を与えたのかを詳しく解説します。
目次
司法権とは?
憲法76条1項には、すべて司法権は、「最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」と規定されています。
では、司法権とは何かということについては、
「具体的な争訟につき、法を適用し、宣言することでこれを裁定する国家の作用」
との定義づけがなされています。
法律上の争訟とは?
憲法76条1項を受けて、裁判所法3条1項では、「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。」と規定しています。
では、法律上の争訟とは何でしょうか?
様々な学説がありますが、板まんだら事件は、法律上の争訟の要件を具体的に定義しました。
板まんだら事件の概要
Y宗教法人は、「板まんだら」という本尊を安置するための本堂を建設するために、Y宗教法人の会員であるXらに対して、寄付を求めました。
Xらはこれに応じて、多額の寄付を行いましたが、寄付をした後で、「板まんだら」が偽物であることが判明しました。
そこで、Xらは要素の錯誤により、本件寄付行為は無効であると主張して、寄付金の返還を求めて不当利得返還請求訴訟を提起しました。
※なお、現行民法では錯誤は「取り消す」ことができるものですが、当時の民法では錯誤は「無効」とされていました。以下の解説も「無効」で記述します(民法95条参照)。
第一審は、板まんだらが偽物なのか本物なのかといった純然たる宗教上の争いが前提問題となっており、裁判所が法令を適用して終局的に解決できる事柄ではないとして、Xらの訴えを却下しました。
そこでXらが控訴し、第二審では、当事者間の具体的な権利義務又は法律関係の存否に関する紛争であり、法律を適用することで終局的に解決できるとして、第一審判決を取り消しました。
これに対して、Y宗教法人が本件は純然たる宗教上の争いなので法律上の争訟に当たらないとして上告しました。
最高裁の考え方
最高裁の結論:本件は法律上の争訟に当たらない
具体的に確認しましょう。
法律上の争訟とは?
最高裁は、法律上の争訟は次の2つの要素を満たすものであると定義しました。
- 当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること。
- それが法令の適用により終局的に解決することができるものであること。
そして、この定義で重要な点は、「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争」でも、法令の適用により解決するのに適しないものは、裁判の対象にならないことを示した点です。
板まんだら事件へのあてはめ
板まんだら事件は、Xらが板まんだらを本物だと思ったために寄付をしたところ、偽物だったという事件です。
Xらは、民法95条の錯誤を理由に寄付の無効を主張して、Y宗教法人に対して不当利得返還請求を行えばよいだけの問題のように見えます。
つまり、「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争」に当たると言えそうです。
しかし、錯誤の原因は、板まんだらが偽物か本物かという点にあります。
もしも、本物であれば、Xらは錯誤に陥ったことにならないので、不当利得返還請求訴訟を提起する前提条件がなくなります。
そのためには、板まんだらが偽物か本物かを確定する必要がありますが、その点は、宗教上の争いであって、裁判所が判断できることではありません。
つまり、「法令の適用により終局的に解決」できる問題ではありません。
そのため、最高裁は本件は裁判の対象にならないと判断しました。
板まんだら事件における最高裁の結論
上記の点を踏まえて、最高裁の考え方をまとめると次のようになります。
- 本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっている。
- 信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断(板まんだらが偽物か本物か)は請求の当否を決めるための前提問題である。
- しかし、この前提問題が本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものとなっている。
- そのため、本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決は不可能なものと言える。
よって、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらない。
板まんだら事件が後の事件に与えた影響
板まんだら事件で最高裁が示した「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争」でも、法令の適用により解決するのに適しないものは、裁判の対象にならない」という判断基準は、その後の宗教がらみの裁判でも引用されています。
代表的な事件を紹介しましょう。
蓮華寺事件(平成元年9月8日 民集 第43巻8号889頁)
住職Xの宗教上の考え方が異端であるとしてY宗教法人がXの僧籍を剝奪。その上でXがA寺院の建物を占有する権限を失ったものとして、Y宗教法人がXに対してA寺院の建物の明け渡しを求める訴えを提起した事件。
建物の明け渡しを求める訴えは、「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争」に当たるものの、XがA寺院の占有権限を有するかは、宗教上の考え方を理由にXの僧籍を剝奪したことの当否が前提問題になるため、「法令の適用により終局的に解決」できる問題ではなく、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に当たらないと判断しました。
なお、蓮華寺事件では、憲法20条の信教の自由を根拠に、宗教団体における宗教上の教義、信仰に関する争いについては、裁判所は介入すべきでなく、中立を保つべきであるとの理由も挙げています。
日蓮正宗管長事件(最判平成5年9月7日 民集 第47巻7号4667頁)
日蓮正宗の末寺の住職であるXらが、日蓮正宗の管長の地位を承継したYがその地位にないことの確認を求めて、訴えを提起した事件。
Yが宗教団体の代表役員の地位にあるかどうかの確認を求める訴えなので、「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争」に当たるものの、その前提として、Yが血脈相承を受けたかどうかという宗教上の教義ないし信仰の内容を審議しなければならないことから、「法令の適用により終局的に解決」できる問題ではなく、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に当たらないと判断しました。
大経寺事件(最判平成14年2月22日 集民 第205号441頁)
宗教法人Yの管長Bが、その末寺であるX寺の住職であるAを罷免したうえで、X寺の明け渡しを求めた。これに対して、AはBが管長の地位になく、よって、Aを罷免する権限もないのでX寺の明け渡しを求めることもできないと主張して争った事件。
BがAに対してX寺の建物の明け渡しを求める訴えですし、Bが管長の地位にあると言えるかどうかも争点となっているので、「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争」に当たると言えそうです。
しかし、Bが管長の地位にあるのか判断するには、Bが血脈相承を受けたかどうかという宗教上の教義ないし信仰の内容の審議が必要です。これは「法令の適用により終局的に解決」できる問題ではありません。
よって、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に当たらないと判断しました。
板まんだら事件の判決文
裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる(最高裁昭和三九年(行ツ)第六一号同四一年二月八日第
三小法廷判決・民集二〇巻二号一九六頁参照)。したがつて、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であつても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえない、というべきである。
これを本件についてみるのに、錯誤による贈与の無効を原因とする本件不当利得返還請求訴訟において被上告人らが主張する錯誤の内容は、(1) 上告人は、戒壇の本尊を安置するための正本堂建立の建設費用に充てると称して本件寄付金を募金したのであるが、上告人が正本堂に安置した本尊のいわゆる「板まんだら」は、日蓮正宗において「日蓮が弘安二年一〇月一二日に建立した本尊」と定められた本尊ではないことが本件寄付の後に判明した、(2) 上告人は、募金時には、正本堂完成時が広宣流布の時にあたり正本堂は事の戒壇になると称していたが、正本堂が完成すると、正本堂はまだ三大秘法抄、一期弘法抄の戒壇の完結ではなく広宣流布はまだ達成されていないと言明した、というのである。要素の錯誤があつたか否かについての判断に際しては、右(1)の点については信仰の対象についての宗教上の価値に関する判断が、また、右(2)の点についても「戒壇の完結」、「広宣流布の達成」等宗教上の教義に関する判断が、それぞれ必要であり、いずれもことがらの性質上、法令を適用することによつては解決することのできない問題である。
本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に徴すると、本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となつていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。
そうすると、被上告人らの本件訴が法律上の争訟にあたるとした原審の判断には法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべきであり、その違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。なお、第一審の準備手続終結後における被上告人らの仮定的主張(詐欺を理由とする贈与の取消あるいは退会により本件寄付は法律上の原因を欠くに至つたとの主張)は、民訴法二五五条一項に従い却下すべきものである。したがつて、その余の上告理由について論及するまでもなく被上告人らの本件訴は不適法として却下すべきであるから、これと結論を同じくする第一審判決は正当であり、被上告人らの控訴はこれを棄却すべきである。
よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官寺田治郎の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(判決文全文)
まとめ
板まんだら事件は、法律上の争訟の要素として、次の2つを明らかにした事件です。
- 当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること。
- それが法令の適用により終局的に解決することができるものであること。
後の宗教団体がらみの最高裁判決も、この枠組みで判決が下されているため、しっかり押さえておきましょう。
板まんだら事件をはじめとする判例の理解を深めたい方には、「【司法試験合格者解説】答案に活かせる判例百選の勉強法【初学者】」の記事がおすすめです。
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