刑法の因果関係の重要判例3選と論述のポイント

法書ログライター執筆記事となります。

対象の一貫した連接が、その間の因果関係を決定する」――デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』

はじめに

  刑法の因果関係は、基礎的な分野ですが、広くて深いです。したがって、この記事では大胆にオミットして、危険の現実化に絞って解説しています。

実務では大体、危険の現実化です。

なお、本稿の執筆に際しては、大塚祐史先生の『応用刑法I』を大いに参考にしましたが、「相当因果関係とその限界を理解しなければ危険の現実化は習得できない」的なことが書いてありました。見なかったことにします。

相当因果関係の限界も大事ですが、紙面にも限界があるのです。

刑法上の因果関係の考え方と学説

総説-事例を基に考える

1.Xは殺意をもってVに向けて銃を発砲したが、狙いが逸れて命中しなかった。Vは狙われていたことに気づくことなく車に轢かれて死亡した。

2.Xは殺意をもってVに向けて銃を発砲したが、Vの肩に命中し、命に別状はなかった。Xが逮捕された後、Vを病院に搬送する救急車が交通事故に遭い、Vは死亡した。

3.Xは殺意をもってVに向けて銃を発砲したが、狙いが逸れて命中しなかった。Vは狙われていたことに気づき、恐慌して錯乱状態に陥りながら逃走を図ったため、車に轢かれて死亡した。

4.Xは、Vが飛行機事故に遭って死ぬことを望みながら海外旅行を勧めた。Vは成田発シドニー行きのカンタス航空QF26便に搭乗したが、同便が墜落し、死亡した。

カンタス航空は2024年4月現在、ジェット機での死亡事故を起こしたことのない世界で最も安全な航空会社の一つです。

さて、因果関係は構成要件要素の一つです。実行行為と結果との間の繋がりのことを言います。例1のように、実行行為と関係なく結果が生じた場合には、結果が生じなかった時と同様、未遂犯となります。

その狙いは、偶然に生じた結果を排除して処罰範囲を適切なものとすることです。

なお、あくまで構成要件の一つに過ぎません。因果関係があろうと、たとえば故意が欠けたりすれば犯罪は成立しません。

そして、実行行為の存在を前提にしています。例4では、因果関係以前に実行行為が存在しないということになります。

因果関係の考え方①条件説

 まず、行為と結果との関係で考えられるのは、「その行為がなかったならその結果は生じなかっただろう」という関係です。

「あれなければこれなし」、「仮定的消去」、「Conditio sine qua non」、色々な呼び方がありますが、ひとまずこのような関係を「条件関係」と呼びます。

 そして、因果関係を認めるのに条件関係だけで足りるとする考え方を、「条件説」と呼びます。

 条件説はドイツの通説であり、かつての日本の通説・判例です。

因果関係の考え方②相当説

 条件関係だけでは、処罰範囲が不当に広くなってしまう(たとえば例2。Xが発砲しなければVは救急車に乗らず、事故にも遭わなかった。)として、その範囲を限定する考え方があります。その一つが、相当(因果関係)説です。

 これは実行行為と結果との間に、条件関係があることを前提として、相当因果関係が必要とする説です。

 相当説は更に、主観説、客観説、折衷説に分けられます。

 ドイツでは通説の地位を得られませんでしたが、日本の通説は最後の折衷的相当因果関係説を採用していました。

 しかし、相当因果関係説では限界が生じたので、それを回避するために全く新しい理論を展開することになります。

 それが次の危険の現実化論です。

 

因果関係の考え方③危険の現実化論

 実行行為とは、構成要件結果を発生させる現実的な危険を内包した行為です。

 そこで、危険の現実化論では、行為と結果との間に条件関係があることを前提に、その結果が、実行行為に内在する危険が現実化したと言える場合に因果関係を認めます。

 具体的には、行為時に存在したすべての事情を考慮して、

・実際に生じた結果に対して、行為と行為後の介在事情の寄与度を比べて、介在事情の寄与が小さければ(あるいは介在事情が存在しなければ)因果関係を認めます。

・介在事情の寄与が大きくても、その介在事情が行為によって誘発・拡大された場合で、介在事情が異常でなければ、因果関係を認めます。

 これが現在の日本の判例実務における処理であり、これから解説するのは、この基準に基づいた論証のやりかたです。

コラム

危険の現実化論が、相当因果関係説の一形態であるのか、ドイツの通説である『客観的帰属の理論』を採用したものかについては争いがあります。

客観的帰属の理論とは、客観的構成要件に当てはまる事実が存在したとしてもそれが被告人に帰属していなければ処罰できないとする理論で、因果関係は帰属のための要件の一つに過ぎないとします。つまり、因果関係の判断は条件関係だけで十分ですが、その行為が許されざる危険を生じさせ、それが実現したといえなければ、被告人は処罰できないとするのです。

この立場に立つと、『危険の現実化』は因果関係に関する理論ではなくなるわけですが、まぁ、受験生としては因果関係=危険の現実化と覚えていいんじゃないでしょうか。予備校本とかでもそう書いてありますし。

正直『客観的帰属の理論』がよくわからなかったからクラウス・ロクシンの刑法総論(古い版)を読んでこのような理解にたどり着いたのですが、合ってますか? 合ってますよね?  
間違ってるよと言う方はコメント欄までお願いします。

刑法の因果関係の重要判例

刑法の因果関係の重要判例として以下を紹介します。

①大阪南港事件
②高速道路侵入事件
③トランク監禁致死事件

大阪南港事件(平成2年11月20日)

大阪南港事件の事案

 XがVにお湯をかける、革バンドで殴る、気絶したところで後頭部を土間に打ち付けるなどして(第一暴行)、致命傷の橋梁脳出血を惹起した後に資材置き場に放置したところ、通りかかった知らない奴がVを角材で殴って(第二暴行)、死期を早めた事案。

大阪南港事件の判旨

 「犯人の暴行により被害者の死因となった暴行が形成された場合には、仮にその後第三者により加えられた暴行によって死期が早められたとしても、犯人の暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができ」る。

大阪南港事件の解説

 倒れてる人を角材で殴るヤバイ奴がいた事案です。

いやまぁ、多分Xが追撃したんですけど。証拠不十分なので、疑わしきは被告人の利益にということでこのような形になりました。

当時の通説である相当因果関係説では、行為後の介在事情は予見可能なものでなければなりませんでした。

しかし、倒れてる人を角材で殴るサイコ通り魔の存在は通常予見不能です。

そこで本事案では、異常な介在事情であっても、死因が変わらず、「幾分か死期を早める影響を与えたに留まる」場合には、因果関係を認めるとしました。

 本事案は、「介在事情は存在したが、その結果への寄与度が低い類型」といえます。

高速道路侵入事件(平成15年7月16日)

高速道路侵入事件の事案

 Xら6人は、夜中の11時50分ころから2時ころまでVに暴行を加え続け、その後マンションに移動して3時ころから45分に亘って暴行を加え続けた。VはXらから逃れるために高速道路に入って轢かれて死亡した。Xらに傷害致死罪が成立するかが問われた事案。

高速道路侵入事件の判旨

 「被害者(V)が逃走しようとして高速道路に侵入したことは、それ自体極めて危険な行為というほかないが、被害者は被告人ら(Xら)から長時間激しく執ような暴行を受け、被告人らに対し極度の恐怖感を抱き、必死に逃走を図る過程で、とっさにそのような行動を選択したものと認められ、その行動が、被告人らの暴行から逃れる方法として、著しく不自然、不相当であったとはいえない。そうすると、被害者が高速道路に進入して死亡したのは、被告人らの暴行に起因するものと評価することができる」

高速道路侵入事件の解説

 本事案では、被害者の死因は轢死です。Xらの実行行為は単なる暴行ですから、行為後の介在事情が死因を変えたものです。

 しかも、高速道路に進入するというのは、かなり危険な行為です。被害者の死は、Xらの暴行よりも被害者のこの行為によるところが大きいでしょう。

 しかしながら、判旨は、①Xらの暴行によって極度の恐怖を抱き必死に逃走を図る過程でとっさにした行為であること、②その方法が著しく不自然、不相当であったといえないことから、因果関係を肯定しています。

 言い換えると、本事案は、

・介在事情が存在し、その結果への寄与度が高いが、
・①その事情が実行行為により誘発されたもので、
・②介在事情が異常でなかった

 から因果関係を肯定できるとしたものです。

トランク監禁致死事件(平成18年3月27日)

トランク監禁致死事件の事案

 夜中の3時40分ころ、Xは他2人と共謀のうえ、Vの体を車のトランクに閉じ込めて走行した後、路上で停車した。停車した道は車道の幅員7.5メートル、片道1車線のほぼ直線で見通しのいい道路だった。停車して数分後に後方からトラックが運転手Aの前方不注意のために追突し、トランクに入っていたVは死亡した。

トランク監禁致死事件の判旨

「被害者(V)の死亡原因となった、Aの追突事故は、……なんら特異な事態ではない。そして、このような事故の結果、前車に乗車中の者は、……衝突の衝撃により死傷に至ることは、十分あり得るところであり、本件のように車の後部トランク内に監禁されている場合も異なるところはない。したがって、被告人(X)らの逮捕監禁行為と被害者の死亡との間に因果関係が存することは優に認めることができる。」

「以上の事実関係の下においては、被害者の死亡原因が直接的には追突事故を起こした第三者の甚だしい過失行為にあるとしても、道路上で停車中の普通乗用自動車後部のトランク内に被害者を監禁した本件監禁行為と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができる。したがって,本件において逮捕監禁致死罪の成立を認めた原判断は,正当である。」

トランク監禁致死事件の解説

本事案では、Vの死因はトラックの追突による頸髄挫傷です。よって、トラックの追突という介在事情によって死因が変化したといえるでしょう。

また、トラックの追突は別に監禁という実行行為により誘発されたわけではありません。

しかし、高裁、最高裁は本事案で因果関係を認めました。

(特に最高裁が)ろくに理由を書いていないので、『応用刑法I』の解釈に則って言うと、本事案は、

・介在事情の結果への寄与が高いが、
・実行行為が、その事情の危険性を拡大したもので
・介在事情が異常でない

から因果関係を認めることができる類型と言えます。

因果関係の論述のポイント

因果関係の論述ポイントとして以下をご紹介します。

①条件関係
②直接型と間接型に分ける
③論述の流れ

論述ポイント①条件関係

 まず、最初に条件関係を確認します。生じた結果(主に死亡)が、「実行行為がなければ起こらなかった」とさえ言えないなら、行為と結果は全く関係ないのです。

 上のトラック追突事件でも、XがトランクにVを閉じ込めなければトラックが追突して死ぬことはなかったのです。

ここがポイント

・条件関係の認定をさらっとでも良いから行う

論述ポイント②直接型と間接型に分ける

 次に、行為時に存在した一切の事情(被害者の体質などを含む)をすべて考慮に入れて、その行為によってどのような結果が生じる危険があるかを考えます。主に死因です。因果関係の問題のほとんどは殺人や致死罪の死因が問題です。

 そして、行為後の介在事情を含めて実際に生じた死因と比べます。

死因が一致していて、死期もそれほどずれていないなら、直接的危険実現類型です。

 死因がズレていれば、間接的危険実現類型です。実行行為により誘発・拡大されたかを検討し、次に一般人の基準で介在事情が発生したのが異常であるかを検討します。

ここがポイント

・死因が一致し、死期のずれも小さい→直接的危険実現類型
・死因がずれている、又は、死期が大きくずれている→間接的危険実現類型

論述ポイント③論述の流れ

因果関係の論述の流れは次の通りです。(参考:『応用刑法I』)

・因果関係の論証。危険の現実化。

・行為と結果との間の条件関係。

・行為後の介在事情の存在。

・(行為後の介在事情の結果への寄与)

・結論

・因果関係の論証。危険の現実化。

・行為と結果との間の条件関係。

・行為後の介在事情の存在。

・介在事情が結果にもたらした寄与。

・介在事情が異常かどうか。

・介在事情が行為によって「誘発」されたかどうか。あるいは行為が介在事情の危険を「拡大」したかどうか。

・結論

おわりに

教科書によって言ってることが違うんですけど!

今回、記事を執筆するに際して、他の教科書とかも読んだのですが、言ってることがちょっとずつ違うので、苦労しました。

 因果関係論は、抽象的で難しい分野です。哲学者デイヴィッド・ヒュームは、因果関係それ自体を経験することはできないと言いました。因果関係の難しさはここにあるのです。

 凶器の刃物を見ることはできます。人を刺した瞬間を目撃することもできます。刺された人が死ぬ瞬間に立ち会うこともできます。でも、『刃物で刺されたから死んだ』という観念を見ることはできません

 因果関係は常に私たちの頭の中にあるのです!

 …なんかちょっと違う気がする? それはあなたが刑法上の因果関係を理解した証です。

・大塚裕史『応用刑法I 総論』(日本評論社、2023)

 かなりおススメの演習書。具体的な論述についても書かれているのでかなり実践的な本。

・大塚裕史ほか『基本刑法I 総論[第3版]』(日本評論社、2019)

 定番の基本書。

・佐伯仁志=橋爪隆編『刑法判例百選I 総論[第8版]』(有斐閣、2020)

 定番の判例集。因果関係の判例が7個も載ってる。

・クラウス・ロクシン(松原久利ほか訳)『刑法総論第1巻:基礎・犯罪論の構造』(信山社出版, 2003)

 ドイツ刑法の基本書。分厚いし難しい。因果関係論の章が「アインシュタインの相対性理論によると…」から始まる、来る者を拒む仕様。

・デイヴィッド・ヒューム(井上基志訳)『人間本性論』(青空文庫)

 イギリス経験論の到達点。または懐疑論の袋小路と称される。

・イマヌエル・カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判』(岩波書店 、1961)

 「因果関係が頭の中にある」というのはどちらかというとこっち。

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