堀木訴訟(最大判昭57.7.7)をどこよりも分かりやすく解説【憲法重要判例】

「堀木訴訟の理解のポイントは?」

「堀木訴訟の重要な事実関係とは?」

「生存権の法的性格を知りたい」

堀木訴訟(最大判昭57.7.7)は、生存権の社会権的側面の法的性格について最高裁が判断基準を示した判例です。法的権利説を否定し、プログラム規定説に則った見解を示しましたが、裁判規範性は認めています。

堀木訴訟における最高裁の考え方を解説していきます。

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1.生存権の法的性格

憲法25条は、1項ですべての国民に生存権が保障されていることを規定し、2項で生存権実現のために国に努力義務を課する規定になっています。

では、生存権にはどのような法的性格があるのかが問題になります。つまり、憲法25条を根拠に国民はどのような権利主張ができるのかという話です。

この点、生存権には次の二つの法的性格があると解されています。

①自由権的側面
②社会権的側面

自由権的側面とは、すべての国民は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有しており、国家は国民の権利を阻害してはならないという意味です。

自由権的側面については、法規範性、裁判規範性のどちらも認められています。(総評サラリーマン税金訴訟(最判平成元年2月7日)の第一審、第二審判決など。最高裁は明示せず)

つまり、国が国民の生存権を阻害している場合は、裁判によってその阻害をやめるように求めることができます。

一方、社会権的側面とは、国民が国に対して、「健康で文化的な最低限度の生活の実現」を求める権利という意味です。

つまり、国に対して、健康で文化的な最低限度の生活ができるように衣食住や生活資金を用意するように求めることができるという意味になります。

しかし、国の予算には限度があるため、社会権的側面についてはどの程度認めるべきかが問題になるわけです。

2.生存権の社会権的側面の法的性格

生存権の社会権的側面が、どの程度、具体的な権利と言えるのかについては、大きく次の2つの見解に分かれています。

法的権利説
プログラム規定説

法的権利説は、国民は国に対して、生存のために必要な措置を講じるように要求する法的権利があるという考え方です。法規範性があるので、国がその権利を実現しない場合は裁判で争うことができます。

法的権利説は細かく分けるとさらに、具体的権利説と抽象的権利説に分かれます。

具体的権利説は、憲法25条が生存権を具体的に規定していると捉えて、個別の法律によるまでもなく、憲法25条を根拠に生存権を主張できるとする考え方です。

もしも、生存権に関する法律が制定されない場合は、立法不作為として違憲確認訴訟を提起できると考えます。

抽象的権利説は、憲法25条の生存権は、法律が制定されないと明確な権利として主張できないとする考え方です。生存権に関する法律が制定されなくても、立法不作為として違憲確認訴訟を提起することはできないと考えます。

プログラム規定説は、生存権の社会権的側面につき、法規範性も裁判規範性も認めない考え方です。

憲法25条は、国に対して政治的な義務を課したにすぎないと考えます。

なぜなら、日本国憲法が前提とする資本主義社会では、自助の原則、つまり、自分の力で生き抜くことが前提であるし、生存権の社会権的側面を実現するにしても、国家の予算には限度があるためです。

よって、プログラム規定説の考え方を採用した場合、国民は、国に対して、「健康で文化的な最低限度の生活の実現」を求めることはできないし、もちろん、憲法25条を根拠に裁判を提起することもできないと考えます。

生存権を実現するための法律が制定されたとしても、その法律が憲法25条に違反すると訴えることもできません。

3.堀木訴訟(最大判昭57.7.7)の概要

堀木訴訟は、生存権の社会権的側面の法的性格について、最高裁が判断を示した裁判です。

▽事件の概要▽

Xは、全盲の視力障害者で障害福祉年金を受給していました。

Xには子どもがおり、児童扶養手当の対象と考えられたため、Xは兵庫県知事に対して、児童扶養手当受給の申請を行いました。

ところが、兵庫県知事がXの申請を却下しました。

当時の法制度では、障害福祉年金を受給している人が、児童扶養手当を併給することが認められていなかったためです。

そこで、Xは、併給を認めない規定が、憲法25条2項に違反するとして、裁判を提起した。

4.生存権の社会権的側面についての最高裁の考え方

結論から言うと、最高裁は、明確に法的権利説とプログラム規定説のどちらかの立場に立っているわけではありません。

生存権の社会権的側面について、法的権利は認めていないため、法的権利説の立場ではありません。一方で、裁判を提起することは認めているため、完全なプログラム規定説の立場であるとも言えないわけです。

最高裁の考え方は、学説とは違う考え方として押さえる必要があります。

最高裁の考え方を見ていきましょう。

まず、最高裁は、憲法25条について、「国には、福祉国家の理念により、国政を運営する責務があることを宣言した規定に過ぎず、個々の国民に具体的、現実的な権利を付与する規定ではない」としています。

つまり、法的権利説の考え方を否定し、プログラム規定説の立場に立つと言えるわけです。

プログラム規定説の場合、生存権の社会権的側面をどの程度実現するかは、国が判断することになります。最高裁も続けて、次のように述べています。

健康で文化的な最低限度の生活の程度は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定すべきである。」

また、その判断に際しては、「国の財政事情や様々な事情を考慮し、高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とする」としています。

国が生存権の社会権的側面を実現するに当たっての一応の道筋を示したと言えます。

プログラム規定説の考え方によれば、生存権の社会権的側面の実現に関して、国がどのような政策を取ろうと、裁判所は一切、関与できないことになりますが、最高裁は、その点については一部修正し、次のように述べています。

具体的にどのような立法措置を講じるかは立法府の広い裁量にゆだねられており、裁判所が違憲審査するのは、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合に限る。」

裁判所が、国の政策に対して、違憲審査する余地を認めている。つまり、憲法25条の裁判規範性を認めているわけです。

5.生存権の違憲審査基準についての最高裁の考え方

堀木訴訟の最高裁判決でもう一つ押さえたいことは、生存権の違憲審査基準として、「明白性の原」を採用している点です。

明白性の原則とは、国の生存権に関する規定が立法裁量の限界を超えて、著しく不合理であることが明白な場合に限って違憲とする考え方です。

経済的自由に関する積極目的の規制と同様の考え方を採用しています。

学説もおおむねこの考え方に賛同していますが、生活保障の内容を最低限度の生活保障と、より快適な生活保障の二つに分けて、前者の生活水準は具体的、客観的に決められるのだから、厳格な合理性の基準を採用し、後者のみ立法府の裁量を認めて明白性の原則を採用すべきとする学説もあります。

6.堀木訴訟(最大判昭57.7.7)の判決

上記の判断基準を示したうえで、最高裁は、堀木訴訟で問題となった障害福祉年金と児童扶養手当の併給を認めていない点について次のように判示しました。

▽堀木訴訟の判決結果▽

障害福祉年金と児童扶養手当はいずれも憲法25条の趣旨実現のための制度である。また、いずれも受給者に対する所得保障の制度で同一の性格を有する。

障害福祉年金と児童扶養手当の併給が必須とは限らず、社会保障給付の全般的公平を図るため公的年金相互間における併給調整を行うかどうかは、立法府の裁量の範囲に属する事柄であり、給付額が低額だとしても当然に憲法25条違反になるわけではない。

よって、Xの主張は認められない。

7.堀木訴訟(最大判昭57.7.7)のその他の論点

堀木訴訟では、Xは、憲法25条の他、憲法14条、13条違反も理由として上告しています。

併給調整条項により、児童扶養手当を受給できる者とできない者との間で、差別を生ずることが、法の下の平等に反するという主張です。

この点、最高裁は、このような差別が生じても、「なんら合理的理由のない不当なものであるとは言えない」とし、また、併給調整条項は、「児童の個人としての尊厳を害し、憲法13条に違反する恣意的かつ不合理な立法とは言えない」と判示して、いずれの主張も退けています。

8.堀木訴訟(最大判昭57.7.7)のまとめ

最高裁は、生存権の社会権的側面について基本的に「プログラム規定説」の立場に立ち、法的権利性を認めていませんが、裁判規範性は認めています。

そして、生存権の違憲審査基準は、「明白性の原則」を採用しているということです。

学説と完全に一致するわけではなく、ややこしいですが、頑張って覚えてください。

参考文献

憲法判例百選2 有斐閣

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