富山大学単位不認定事件は、司法権の限界に関して、いわゆる「部分社会の法理」を定式化した判例として知られています。
結論から言うと、大学の単位認定は、司法審査の対象にならないと判断したわけですが、その結論に至る思考の過程を押さえることが大切です。
◆この記事を読めば分かること◆
・司法権の限界と部分社会の法理の意味
・大学における「単位認定」と「専攻科修了認定」の違い
・最高裁が示した「部分社会の法理」の判断基準
・この判例が司法試験対策において重要な理由
これらの知識を押さえることで、司法試験や法科大学院の学習において、司法権の限界と部分社会の法理の関係を深く理解することができ、判例の趣旨を正確に把握できるようになります。
司法権の限界とは
憲法76条では、司法権が裁判所に属する旨が期待されており、裁判所法3条にも、裁判所は「一切の法律上の争訟」を裁判すると定められています。
ただ、司法権にも限界があると解されています。
例えば、立法権との関係では、議事手続に関する事項などの議院の自律権に関わる事案は、原則として司法審査の対象になりませんし、行政権との関係でも、行政機関の裁量や自立に委ねられている事項は、原則として司法審査の対象になりません。
立法権、行政権に属しない領域でも、司法権の対象にならない事項もあります。
部分社会の法理とは
自律的法規範を有する社会や団体(部分社会)の紛争については、内部規律の問題にとどまる限り、自治的措置に任せるべきで、司法審査の対象にならないとする考え方です。
部分社会の法理は、県議会議員の除名が問題になった米内山事件決定(最大決昭和28年1月16日 民集 第7巻1号12頁)の少数意見において、裁判官田中耕太郎氏が、「法秩序の多元性」という概念を打ち出し、「司法権の介入が認められない純然たる自治的に決定さるべき領域が存在する」と述べた上で、「裁判所が関係する法秩序は一般的のもののみに限られ、特殊的のものには及ばない」との考え方を示したことがきっかけで知られるようになりました。
その後、最高裁において、この考え方が影響力を持つようになり、富山大学単位不認定事件において、部分社会の法理として定式化されました。
富山大学単位不認定事件の概要
国立の富山大学経済学部の学生であったXらは、A教授担当の講義を履修していました。
富山大学はA教授に不正行為があったとして、授業担当停止措置を打ち出したうえで、Xらには代替授業を受講するように指示しました。
しかし、XらはA教授の講義を受講し続け、A教授から合格判定を得ました。
これに対して大学側は、A教授の講義は、学部の正式な授業ではないとして、単位を認定せず、専攻科修了の認定もしませんでした。
そこで、Xらが富山大学の学長や学部長を被告として、単位認定、専攻科修了認定に関する不作為の違法確認、または単位認定、専攻科修了認定義務の確認を求めて訴えを提起しました。
第一審は、国立大学の単位認定、専攻科修了認定は、「特別権力関係における内部事項」に当たるとして、司法審査の対象外であるとして訴えを却下しました。
第二審は、特別権力関係内部事項でも、一般市民の権利義務と関わるものは司法審査の対象になると判断しました。
その上で、
・「単位認定」は、一般市民の権利義務と関わらないので司法審査の対象外。
・「専攻科修了認定」は、一般市民の権利義務と関わるので司法審査の対象になる。
との判断を下しました。
これに対して、Xらが上告したのが今回の事件です。
なお、以下の最高裁判決の解説は、「単位認定」に関するものです(最判昭和52年3月15日 民集 第31巻2号234頁)。
「専攻科修了認定」については、後述します。
特別権力関係とは
特別権力関係とは、本人の同意等に基づき、一般の統治と異なる特別の関係に入った場合は、一般の国民の場合よりも基本的人権が制限されるのはやむを得ないとする考え方です。
例えば、国家公務員になった者が、政治活動の自由が制限されたり、労働基本権が制限されることを容認するための理論として持ち出されていました。
富山大学単位不認定事件の第一審、第二審でも、国立大学の学生であるXらに特別権力関係論を適用して、単位認定は司法審査の対象外としたわけです。
富山大学単位不認定事件の最高裁の考え方
第一審、第二審が「特別権力関係論」を用いたのに対して、最高裁は、「部分社会の法理」を用いたのがこの判決の大きな特徴です。
部分社会の法理を用いたことにより、国立だけでなく私立を含む大学全体に適用できる判断基準を示したものであると評価されました。
過去の最高裁判例の引用からの部分社会法理
最高裁は、部分社会の法理を適用するにあたり、地方議会の議員に対してなされた3日間の出席停止の懲罰決議の違法性について争われた事件(最大判昭和35年10月19日)の最高裁判決を引用して次のように述べています。
・法律上の係争には、事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外となるものもある。
・例えば、自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争は、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にならない。
その上で、今回の事件について次のような判断基準を示しました。
・大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学則等を規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成している。
・特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるわけではない。
・一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は司法審査の対象にならない。
今回の事件は、国立大学の事案ですが、「国公立であると私立であるとを問わず」大学は、特殊な部分社会を形成していると述べた点が注目されます。
大学の単位認定について
最高裁は、大学の単位認定が、一般市民法秩序と直接の関係があるかどうかについて次のように述べています。
・単位の授与(認定)は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでない。
・純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきで、裁判所の司法審査の対象にならない。
つまり、大学の単位認定は司法審査の対象にならないとの判断を下しました。
富山大学単位不認定事件の最高裁の結論
最高裁は、「単位認定」は、一般市民の権利義務と関わりがないので司法審査の対象外であるとして、Xらの上告を棄却しました。
高裁と同じ結論になったわけですが、「特別権力関係」を持ち出した高裁とは異なり、「部分社会論」に基づく判断である点を押さえておきましょう。
「専攻科修了認定」について
「専攻科修了認定」については、同じ日に別の最高裁判決が下されています。
ここからは、「専攻科修了認定」についての最高裁判決(最判昭和52年3月15日 民集 第31巻2号280頁)を確認しておきましょう。
最高裁は、国公立の大学は、「公の施設」であり、一般市民の利用に供されるべきものだと認定しました。
学生は、一般市民として公の施設である国公立の大学を利用する権利があり、公の施設を利用する権利が侵害されている場合は、司法審査の対象になるとしています。
そして、国公立の大学を利用する権利というのは、単に大学に入学することに留まらず、「大学所定の教育課程に従いこれを履修し専攻科を修了すること」を含むと判断しています。
そのため、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないことは、「一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否すること」に等しいとしています。
以上の理論からして、国公立の大学の「専攻科修了認定」は、司法審査の対象になると判断しています。
さらに、国公立の大学が専攻科修了認定を行うことは、行政事件訴訟法3条にいう「処分」に当たると判断しました。
この記事のまとめ
本記事では、司法権の限界に関して、「部分社会の法理」に基づく最高裁の判断を解説しました。
司法権の限界と部分社会の法理
司法権は憲法76条に基づいて裁判所に属しますが、大学の単位認定のように、内部的な自治的事項については、裁判所が判断を下す対象から除外されるケースがあります。これを支える理論が「部分社会の法理」です。
富山大学単位不認定事件の概要と最高裁の判断
最高裁は、大学の単位認定は「部分社会の法理」に基づき、大学の自治に委ねられるべきと判断しました。一方、専攻科修了認定については「公の施設の利用に関する権利」として、司法審査の対象となると判断しました。
試験対策のポイント
この判例では、「単位認定は司法審査の対象外」、「専攻科修了認定は司法審査の対象」 という結論が示されています。司法試験の論述や択一式試験で問われる可能性が高いため、結論の異なる理由をしっかり理解しておくことが重要です。
本判例は、司法権の限界を考える上で、必須の知識と言えます。特に、部分社会の法理の考え方は、大学の自治に関する問題に限らず、議会の自律性や学校の内部規律の問題にも応用されるため、幅広い場面で役立つ知識です。