この記事では、横浜市保育所条例事件 (最判平成21年11月26日)について、初学者の方でも分かりやすいように、丁寧に解説していきます。
まず初めに本判決を理解するための3つのポイントと簡単な結論を以下に示しておきます。
1本判決はどのような事案か 公立保育所を民営化する条例について、当該保育所で保育を受けていた児童及びその保護者らが原告となり条例の取消し等を求めた事案です。2本判決の論点と原則論 本判決の論点は横浜市の条例制定行為が「処分」(行訴法3条2項)にあたるか という点です。原則は処分には当たりません。3本判決の判断 本件では例外的に条例制定行為の処分性が肯定 されました。
目次
1 横浜市保育所条例事件 判決の事案
1 横浜市は自ら設置運営する保育所の一部を民営化することにし、4つの市立保育所を廃止し民営化する条例を定めました (正式には「横浜市保育所条例の一部を改正する条例」という名前ですが以下「本件条例」といいます。)
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2 本件条例の施行により4つの保育所は廃止され、それぞれ社会福祉法人によって設置運営されることとなりました。
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3 当該保育所で保育を受けていた児童及びその保護者らは本件条例を制定する行為が「処分」にあたるとしてその取消しなどを求めて訴えを提起しました。
今回の事案は保育所の民営化を巡って問題が起きたという事案です。保育所の民営化に反対する児童と保護者が、4つの保育所を市立保育所として廃止する旨の本件条例を争いました。
具体的には本件条例制定行為は「処分」であるとして、取消訴訟を提起 する方法で争いました。
2 横浜市保育所条例事件 判決 の論点
本件条例制定行為は「処分」にあたるのでしょうか。これが本判決において争われた重要な論点になります。
では「処分」とは何でしょうか。
(以前の記事でも説明しましたが、重要な事なのでここでもう一度簡単におさらいしてみましょう。)
処分とは
①「公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち、」②「その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの」 (最一小判昭和39年10月29日)でした。
もっとも、処分性の判断にあたって「原告の実効的な権利救済を図る」などの+α の観点について言及する判例もあったのでしたね。(実は本判決も+αの 観点からの検討がなされているのですが)
以下をまとめると次のようになります。
『処分性』は①公権力性+②個別具体的法効果性(+α)で判断される
では条例制定行為は処分でしょうか?
条例制定行為は原則として処分ではありません。 なぜなら②の「個別具体的」 法効果を有しないからです。
条例は地方の議会による立法です。
そして立法は基本的には特定の人だけを狙い撃ちするものではなく、現在および将来の不特定多数の人に影響を及ぼします。
このように条例制定行為は特定の人 に直接 に法的効果を与える作用ではなく、一般的抽象的にルールを作る作用 にすぎません。したがって②の個別具体性がないと言えます。
しかし本件ではこの原則通りの判決にはなりませんでした。
つまり、最高裁は条例制定行為の処分性を肯定したのです。それはいったいなぜでしょうか。
3 横浜市保育所条例事件 判決 の判断
では本判決の判断を見ていきましょう。
前提として判例は以下のように述べ、2で学んだ原則論を確認しています。
「条例の制定は,普通地方公共団体の議会が行う立法作用に属するから,一般的には,抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるものでないことはいうまでもないが、」
もっとも「いうまでもないが 」と言っているのでひっくり返されそうですね。以下の二つの観点から結論として処分性が認められる事になりました。
3-1法効果の観点
「本件改正条例は,本件各保育所の廃止のみを内容とするものであって,他に行政庁の処分を待つことなく,その施行により各保育所廃止の効果を発生させ,当該保育所に現に入所中の児童及びその保護者という限られた特定の者らに対して,直接,当該保育所において保育を受けることを期待し得る上記の法的地位を奪う結果を生じさせる ものであるから,その制定行為は,行政庁の処分と実質的に同視し得るものということができる。」
この説示では、図にすると以下のような理由で本件条例制定行為が行政庁の処分と実質的に同視し得る ことを導いています。それぞれどういうことでしょうか。
① 原則として条例制定行為に処分性が認められないのは条例が一般的抽象的 なルールであって個別具体的なものではないからでしたね。しかし、本件条例 は各保育所の廃止のみを内容とする条例です。内容としては個別具体的 なものといえそうです。
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② 行政処分では、ルール(法律、条例など)があり、それを実際に適用する処分がなされて私人に対して権利制限などの法効果が発生するという流れ(条例+処分→効果)があります。しかし本件条例はそれだけで保育所廃止の法効果を発生させるという流れ(条例→効果)でした。即効果を発生させるという点で処分に近いと言えるでしょう。
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③ 特定の人 の法的地位 を直接 に奪うものであれば「個別具体的法効果」がある処分と同視できそうです。本件ではその保育所の児童及び保護者という特定の人 の、当該保育所において保育を受けることを期待し得る法的地位 を(判例の「上記の法的地位」とはこのような地位を指します)、条例制定により直接 に奪うことになります。このような点で処分と同視できそうです。
3-2取消訴訟によることの合理性(+α)
「市町村の設置する保育所で保育を受けている児童又はその保護者が,当該保育所を廃止する条例の効力を争って,当該市町村を相手に当事者訴訟ないし民事訴訟を提起し,勝訴判決や保全命令を得たとしても,これらは訴訟の当事者である当該児童又はその保護者と当該市町村との間でのみ効力を生ずるにすぎないから,これらを受けた市町村としては当該保育所を存続させるかどうかについての実際の対応に困難を来すことにもなり,処分の取消判決や執行停止の決定に第三者効(行政事件訴訟法32条)が認められている取消訴訟において当該条例の制定行為の適法性を争い得るとすることには合理性がある。」
これは+αの観点 として、取消訴訟により争うことの合理性 について説示しています。
これはどういうことでしょうか。
本件条例の効力を争うとなった場合、原告は取消訴訟の他にも当事者訴訟や民事訴訟を提起する ことができます。
しかし民事訴訟や当事者訴訟の判決効は基本的に当事者間でしか効力を有しません 。本件では「その保護者と当該市町村との間でのみ効力を生ずる」こととなります。
するとどうなるかというと、本件条例が原告との関係でのみ効力を失いとなり、他の物との関係では有効となる、ことになります。
それはすなわち、本件保育所が原告との関係では市立保育所として存続し、他の者との関係では市立保育所としては廃止され、私立保育所に移行する ということになります。そのような事態には対応することが難しいでしょう。
それに対して取消訴訟ならば第三者効 がありますので、当事者以外の第三者にも判決効が及び、このようなややこしい問題を回避できます。
このような理由から取消訴訟を認めるのが合理的だ、と判断し処分性を認めようとなったわけです。
4 おわりに
今回の記事もお読みくださりありがとうございました。
参考文献
行政判例百選II〔第8版〕 別冊ジュリスト 第261号.
櫻井敬子,橋本博之(2019)『行政法[第6版]』弘文堂.
下山憲治,友岡史仁,筑紫圭一(2017)『行政法』日本評論社.
海道俊明,須田守,巽智彦,土井翼,西上治,堀澤明生(2023)『精読行政法判例』弘文堂