放火罪における建造物の一体性とは、元々複数の建造物を一個の建造物と評価できるかという論点です。
つまり、非現住建造物と現住建造物が繋がっていて、非現住建造物に放火した場合に、現住建造物放火罪に問えるかということです。
放火罪の条文にそのような状況は明示されていません。ですが、建造物二つがセットになっている状況は、ごくありふれたものです。つまりこれは、法律を現実に当てはめる際に生じるギャップであって、これを埋めるのが法律実務家の仕事です。
はりきっていきましょう。
目次
放火罪の条文
まずは、放火罪の条文を確認しておきます。
(現住建造物等放火)
第百八条 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
(非現住建造物等放火)
第百九条 放火して、現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいない建造物、艦船又は鉱坑を焼損した者は、二年以上の有期懲役に処する。
2 前項の物が自己の所有に係るときは、六月以上七年以下の懲役に処する。ただし、公共の危険を生じなかったときは、罰しない。
最高裁平成元年7月14日の解説
最高裁平成元年7月14日の事案の概要
平安神宮は、本殿や社務所などが歩廊で接続されていた。本殿などは現住していないが、社務所等は宿直員などが現住していた。
(1)平安神宮社殿は、様々な建物とこれらを接続する歩廊等から成り、中央の広場を囲むように方形に配置されており、歩廊などを伝って各建物を一周できる構造になっていた。
(2)右の各建物は、すべて木造であり、歩廊なども、その屋根の下地、透壁、柱等に多量の木材が使用されていた
(3)そのため、祭具庫、西翼舎等に放火された場合には、社務所、守衛詰所にも延焼する可能性を否定することができなかつた、
(4)外拝殿では一般参拝客の礼拝が行われ、内拝殿では特別参拝客を招じ入れて神職により祭事等が行われていた、
(5)夜間には、神職各2名と守衛、ガードマンの各1名の計4名が宿直に当たり、社務所又は守衛詰所で執務をするほか、出仕と守衛が午後八時ころから約1時間にわたり社殿の建物等を巡回し、ガードマンも閉門時刻から午後一二時までの間に三回と午前五時ころに同様の場所を巡回し、神職とガードマンは社務所、守衛は守衛詰所でそれぞれ就寝することになっていた。
最高裁平成元年7月14日の判旨
「右社殿は、
その一部に放火されることにより全体に危険が及ぶと考えられる一体の構造であり、
②また、全体が一体として日夜人の起居に利用されていたものと認められる。
そうすると、右社殿は、①物理的に見ても、②機能的に見ても、その全体が一個の現住建造物であつたと認めるのが相当である」
問題の所在
現住建造物等放火罪と非現住建造物等放火罪では法定刑が違います。
前者は殺人罪と同等で、後者は2年以上の有期懲役です。2年以上の有期懲役といえば他に該当するのは往来妨害罪(刑法125条)です。殺人罪と往来危険罪、その差はまさに天と地の差です。いまいちピンときませんね。
一方、建造物とは、家屋その他これに類する建築物であって、屋根があり壁または柱で支持されて土地に定着し、少なくともその内部に人が出入りできるもの(大判大正3年6月20日)です。
現住とは、人が起臥寝食の場として日常的に使用することを言います。典型的には住宅がそれに当てはまるでしょう。
では、住宅でない場合はどうでしょうか。たとえば、会社のビルに放火した場合であって、従業員の居住スペースがビルの近くにあった場合には、現住建造物等放火といえるでしょうか。このように、現住性のない部分に放火したのにも関わらず、施設全体を一つの現住建造物と評価できるのはどのような場合なのでしょうか。
物理的・機能的一体性
平成元年判決では「①物理的に見ても、②機能的に見ても、その全体が一個の現住建造物」と言って、現住建造物放火罪を肯定しました。
建造物の一体性の判断基準は、物理的一体性と機能的一体性に分かれることとなります。
物理的一体性
構造上の一体性
建造物として一体といえるためには、やはり、少なくとも構造上接続されている必要があります。
二つの建造物がそれぞれ独立している場合で、その片方に放火をした場合には、その建造物に放火をしただけで、その両方を一体として罰するわけにはいきません。
したがって、まず前提として、二つの建造物が渡り廊下などで接続されている場合に、一体性を検討することとなります。
全体への危険(延焼可能性・有毒ガスの流入の可能性等)
とはいえ、渡り廊下で接続されているだけで、二つの建造物を一個のものとみなすのは無理があります。
そこで、現住建造物放火罪として処罰されるのがどのような場合であるか考えると、それは現住建造物放火罪の保護法益である生命への危険が生じた場合であるといえます。
平成元年判決でも、「その一部に放火されることにより全体に危険が及ぶと考えられる」ことを根拠としています。
全体に危険が及ぶ経路は、主に次の二つになります。
・延焼
・有毒ガスの流入
非現住部分に放火をすることで、現住部分を含む全体に延焼する可能性が一体性の判断の中心となります。そして、火災により発生した有毒ガスが現住部分に流入するような場合にも、物理的一体性が認められることになります。
機能的一体性
平成元年判決では、確かに歩廊などが木材で出来ており、燃え広がりやすい構造でした。しかし、それでも各建物はそれなりに離れており、それほど延焼可能性等が高いとはいえませんでした。
物理的な接続があまり強くない場合には、その建造物の利用形態を考えます。人が日常的に複数の建造物を一体のものとして利用しているという場合には、非現住建造物の部分にも人がいる可能性が高まるため、危険が及んでいるといえます。
平成元年判決では、守衛やガードマンが1時間ごとに建物を巡回することから、「全体が一体として日夜人の起居に利用されていた」として、機能的にも一体であるとしました。
放火罪における建造物の一体性の考え方
まず前提として、構造的一体性を検討します。つまり、複数の建造物が接続されているかどうかです。もしも特に渡り廊下などで繋がっていない場合には、それは単なる独立した建造物として扱います。
次に、生命の危険が全体に及ぶかを検討します。延焼可能性や有毒ガスの流入などによって、非現住部分への放火が現住部分へと及ぶかどうかです。
これを考える際に重要なのが、現住と非現住部分との距離、建材、窓や通気口による繋がりです。一方で、風向きや実際の放火行為の態様などは考慮しません。あくまで当該建造物の性質として、一体性があるかを考えるからです。
こうして延焼可能性等が高いと認められる場合には、一体性が認められ、現住建造物等放火罪が成立するでしょう。
一方で、延焼可能性等が高いわけではない場合もあります。「延焼可能性等が否定できない」というレベルであっても直ちに一体性は否定されません。
次に、機能的一体性を検討します。人が日常的に複数の建造物を一体のものとして利用しているか。具体的には、非現住建造物部分に人が移動する可能性があるかどうかを検討します。
STEP
構造的一体性の検討
・複数の建造物が接続されているかどうか
・物理的つながりがないのであれば「独立した建造物」
STEP
生命の危険が全体に及ぶか
・現住と非現住部分との距離、建材、窓や通気口による繋がり
STEP
機能的一体性の検討
・人が日常的に複数の建造物を一体のものとして利用しているか
・非現住建造物部分に人が移動する可能性があるか
機能的一体性の位置づけについて
機能的一体性の位置づけについては、次の二つの有力な説があります。
・構造的一体性を前提に、延焼可能性等か機能的一体性のどちらかが認められれば一体性があるとする見解
・構造的一体性と延焼可能性等を前提に、延焼可能性等が弱い場合に一体性を補強するものであるという見解
参考文献は後者の説を採っています。前者の見解は、延焼可能性と機能的一体性が同じくらいの生命の危険を拡大することを前提にしていますが、実際には機能的一体性だけでは延焼ほど確実に生命の危険は及ばないからです。
また、答案戦略としても、普通に論述をする際には、後者の見解を採るほうがいいでしょう。後者の見解なら、延焼可能性等と機能的一体性に関する事実を拾って評価することができるからです。
おわりにに変えて
この論点に関する判例には変遷があります。
たとえば大審院時代の判例には、構造的一体性なしに一体性を肯定していた事例もあります。これは特に判例変更もなく、古くなって先例としての価値を失いました。
明治や大正時代には、現代よりも多くの建造物が木造であり、それゆえに生命の危険が生じやすかったことも背景にあります。
このような時代背景の変遷などがあるため、裁判例を見る際には注意が必要となります。
裁判例の位置づけを調べるのに際しては、この論点に関する長めの論文を読むのが役に立ちました。参考文献欄にてその論文を示しているので、参考にしてください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
▽参考文献▽
・大塚裕史ほか『基本刑法II 総論[第3版]』(日本評論社、2019)
法書ログ
基本刑法Ⅱの書評・口コミ | 法書ログ
すべての法律学習者ひとりひとりに最適な教材を
・大塚裕史『応用刑法II 総論』(日本評論社、2023)
・『アガルートの司法試験・予備試験合格論証集 刑法・刑事訴訟法』アガルートアカデミー編著(サンクチュアリ出版、2020)
・佐伯仁志・橋爪隆編『刑法判例百選II[第8版]総論』(有斐閣、2020)
・秋元洋祐「放火罪における建造物の一体性」『法と政治』 62 巻 2 号 (關西學院大學法政學會、2011) 69頁から